於母陀流神・阿夜訶志古泥神とは|神世七代第六代と「整う」意味

意富斗能地神・大斗乃辨神 古事記

神世七代を一代ずつたどるシリーズは、第五代の意富斗能地神・大斗乃辨神に続き、第六代へ進みます。今回取り上げるのは、於母陀流神(おもだるのかみ)と阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)です。

『古事記』では二柱を一組として数え、伊邪那岐神・伊邪那美神の直前に置きます。原典に書かれていることと、後世の解釈を分けながら見ていきましょう。

『古事記』における正式な神名と読み

  • 於母陀流神(おもだるのかみ)
  • 妹 阿夜訶志古泥神(いも あやかしこねのかみ)

國學院大學の神名データベースでは、於母陀流神を男神、阿夜訶志古泥神を対偶となる女神とし、神世七代の第六代と説明しています。ここでいう「妹」は、対偶の女神であることを示す古い表現です。二柱を別々の代として数えない点が大切です。

原典が語るのは、神名と系譜の位置

『古事記』のこの場面は、二柱の詳しい物語や容姿を語っていません。神名を挙げ、神世七代の系譜の中に位置づけています。そのため、二柱の姿や会話を史実のように描くことはできません。

次に伊邪那岐神・伊邪那美神が現れることから、第六代は天地の始まりから国生みへ移る直前の段階にあります。物語が動き出す前に、生成の秩序が整っていく位置として読むことができます。

神名の意味は一つに断定しない

於母陀流神は、『日本書紀』の「面足尊」という表記などから、顔や身体が整い満ちることに関わる名とする解釈があります。阿夜訶志古泥神は、「あやにかしこし」という畏敬や讃嘆の言葉に結びつける説があります。

ただし、これらは研究上の諸説です。國學院大學の資料も、国土の形成、身体の完成、人の生活の始まりなど複数の見方を紹介しています。「この意味だけが正しい」「この御神徳が必ずある」と決めつけず、神名が長い研究の対象になってきたこと自体を大切にしたいものです。

後世の信仰では「満ち足りる」象徴として受け取られる

後世には、面足神・惶根神などの名で祀られ、身体の完成や美、円満に結びつけて信仰されることがあります。これは『古事記』本文に御利益が列挙されているという意味ではありません。原典の記述と、各神社で育まれた信仰は分けて理解してください。

清家龍征の読み|「整った」と決めた瞬間にも、次の始まりがある

私は、第六代を「完成したから終わり」とは読みません。次に伊邪那岐神・伊邪那美神が現れ、国生みの物語が始まるからです。整うことは、止まることではなく、次の働きを受け入れる準備なのだと思います。

仕事や暮らしでも、条件がすべてそろうまで動けないことがあります。けれど、今あるものを確かめ、足りない点を整えたなら、次の一歩へ移る時が来ます。これは原典そのものではなく、神世七代の並びから私が受け取る現代への問いです。

シリーズの前後を読む

前の代は、意富斗能地神・大斗乃辨神です。次の第七代は、伊邪那岐神・伊邪那美神です。シリーズ全体は、天地開闢から神世七代まで|神々の系譜・ご利益・代表神社にまとめました。古事記を体系的に学びたい方は、講座一覧もご覧ください。

参考資料

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